命式には宿命が書かれている。そんな説明がよくされています。私はそれを重いと感じていて、なんだか逃れられないものを握らされているような気持ちになってしまうことがあります。

生まれてくる前に選んだものという表現もあります。選んでないけど・・・と思うこともあれば、これは生まれる前からの約束だったとロマンティックな気持ちになれる場合もあったり。

ということで、今回は宿命と運命について、考えたことを書いてみようと思います。

命式と宿命

宿命とは命に宿ったものと書きます。持って生まれたもので、変えられないものの意。

四柱推命の命式からはそれを読むことができるのですが、「宿命の全部」ではないと思っています。

根拠は簡単で、同じようにお誕生日から見ていく占いはたくさん存在していますが、全ての答えが一致するわけではないからです。ありとあらゆる命占の全ての流派から出したって分からない部分は存在するでしょう。

全部簡単に分かったら面白くないので自分で見つけてみて?それはあなたが見つけるものだよ!って、生まれる前の自分が言っていたとしたら、粋だなって思ったりもします。

ところで、命式をイメージで見れば私はこんな風に捉えています。

天干にはなにがしかの苗があり、地支には根が伸びます。場合によっては根のないものもあったり、根を共有しているものがあったり、同じプランターで育てるのは難易度が高いねという苗が並んでいることもあります。

でね、私が思う「四柱推命で見る宿命」って、それだけなのです。それだけでは何も動かないもの。

ここに、自分の働きかけや環境が加わって、初めて運命となります。宿命の名の苗が動くから、運命ですね。

また、宿命と言われれば、これをどうにかしないといけないと思いますよね。もともとあるものだから、これをどうにかすれば何かの花は咲くでしょう。

でもね、命式で分かるもの以外のことも当然していいと、私は思っていて。

命式にあるものを活かそうという言葉はワクワクさせてくれるけれど、同時に、命式通りに生きられたら幸せになると言い切られたら、私の場合はすごく重く感じてしまう。それ以外の道がないように思ってしまうから苦しいです。

宿命と言う名の才能をどうするか

使えるものは使って、弱いところは筋トレして、自覚していなかった部分はせっかく出会えた才能なのだから試してみて?くらいで良いのではないでしょうか?

私は、自分の命式上のちょっと残念なところをみては、だったら仕方ないねって良い意味での諦めの会みたいなのを一人で開くことがあるのですが、そうすることで、じゃあこのルート行く?と考えられるのです。度々唸っては、くそーまたお前かーーー!と思いながら、それならしゃーないなぁ・・・と諦めてまた進みます。

ここで気をつけたいのは、たまに、できないんだから開き直っちゃおう!って人がいるのですが、良い開き直りとダメな開き直りがあって、ダメなのは暴力になることがあるという点です。

例えば、口下手で毒舌になっちゃいやすいということがあったとして、開き直ってそれでいいや!ってなると、人を傷つけますよね。傷つけられた人は、こういう星を持っている人だから仕方ないとは見ないです。

じゃあどうするかって言うと、そういう気質があることを前向きに諦めて、訓練するんですよ。ビジネスマナーの本を読んだり、コミュニケーション講座に行ったり、本音日記をつけて自分の言葉を客観的に見て、この気持ちはこっちの言葉でも置き換えられるなって見直したり。

星の才能を活かすってそういうことでもあると思うのです。何事も最初からキラキラした力ではないのですよね。自転車だって最初は練習したはず。赤ちゃんの頃はごはん握ったり投げたりしてたはず。

四柱推命から受け取れる宿命

個人的には、四柱推命という文脈での宿命の話は、上の絵の右側の様な感じだと思っています。

左側は、人生そのものが宿命になっちゃってます。

このスタンスでいけば、命式通りにすれば楽かもしれないけれど、世界には自分以外の人も当然いるので、それぞれの命式の交差点では、悲しい衝突があることもあります。

それをも生まれてきたときから決められていると言ってしまうのは、あまりにも残酷です。とても悲しいことを受け入れなければならない時に、運命とすることでなんとか乗り越えようとすることがあったとしても、最初からそこに向かいたい人なんていません。

だから、運命は宿命によって決まるというスタンスで四柱推命の話をしてしまうと重いし、時には絶望として聞こえます。

右側は本を手に持っています。

本屋でぶらぶらしてたらなんとなく目についた本。たとえば攻略本でも色々ありますよね。同じゲームでも数冊あって、どれも攻略の難しさを補ってくれたり、より楽しくなるような視座を与えてくれる。もちろん、読まなくてもいいし、読んでもその通りにしなくてもいい。

私は、四柱推命の役割はこんな感じだと思うのです。

宿命と運命

宿命って命が宿ると書きます。運命は命が動くと書きます。結果は宿ったものが持っているのではなく、動いたことによって作られます。どう動くかは自由です。

命に宿っているものが赤鉛筆ならば、鉛筆の動かし方でリンゴになったり、消防車になったり、彼岸花になったりします。でも、赤鉛筆でリンゴは育ちません。

でもね、もしもリンゴを育てたければ、他の能力を使えばいいのです。その能力が弱ければ、たくさんの努力が必要かもしれないけれど、努力すればいいのです。赤鉛筆の力を使って誰か協力してくださいってお手紙を出してもいいのです。こういうリンゴ農園が作りたいんだって絵を書いたら出資してくれる人が現れるかもしれません。

そういう努力って、コスパの良い生き方をするより、かっこいいと私は思います。楽がダメで努力が美しいと言っているんじゃなくて、必要な努力ってあるやんって。

で、そういう努力に対して、私は四柱推命を使いたいです。

赤鉛筆だけでリンゴが育たないって嘆くなら、そりゃそうやろってなってしまいますが、リンゴ育てたいけど、持ってたの赤鉛筆やったなって分かって、赤鉛筆の存在というものを良い意味で諦めて、じゃあ違う線からリンゴ育てる?ってするのか、育てるより絵を描く方が向いてない?ってするのか、出資者と出会えそうな時期までにプレゼンを用意しとく?とか、そういうことを考えた方が良い。

それが宿命を活かすということであり、運命を動かすということだと思うのです。

どう運命を切り開くかという話がしたくなったら「会議室」の扉をノックしてください。四柱推命で見えるあなたの宿命や運気から、一緒に考えていきましょう。

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