空亡だから悪いというのは先走り過ぎで、良い作用をする場合もあれば、そうでない場合もあるということを前回の記事で書きました。

そもそも、四柱推命で空亡は扱わない(そんなものはない)と言われている方もいらっしゃいます。一方で、特別なものとして扱われている方もいらっしゃいます。

どう考えるかは、あなたが合う方でいいと思います。私の考えは、みんなが気にしないといけないものではないということです。

前回の記事で空亡の出し方を知っていただいたのは、それを説明したかったからでもあります。

そもそも空亡って、60回でスムーズに一回りできるものを、わざわざグループに分けて仲間はずれがいる!!ってするからそうなるだけやんって、思うのです。

(イラスト:いらすとや)

ここで改めて分けて考えたいのは、空亡を語る時、

・命式内の十二支が空亡している場合
・空亡の十二支が運気で巡る場合

この2種類の話があることです。

命式内の十二支が空亡している場合、

その十二支が自分にとって味方するものならば、それが空亡しているので、戦力にならないことを表します。でも例えば、考える力を表すものが空亡しているならば、現実的な考え方をするよりも、空想や想像が得意であると、性質として読むこともできます。

また、命式内で空亡している十二支が自分にとって良くないものだった場合、力のない敵になるので、痛くもかゆくもないです。空亡ありがとう!という感じです。

ここまでは命式内に空亡があり、その性質を見る時の話です。

(イラスト:いらすとや)

では、2種類目の、空亡の十二支が巡る場合はどうでしょう。

よく、この年は気をつけて~と言われたりするのですが、そもそも理屈として無理があるとピヨは考えています。

なぜなら、毎年、毎月、毎日巡ってくる十二支って、全部頭に十干を載せているからです。今日だけ十干載せてません!という日はありません。

第一回花いちもんめの時に選ばれなかったということを、巡ってくる度に言うならば、逆に、第一回で組み合わせができた他の十二支も、そのパートナーの十干のことをいつまでも覚えていないとおかしくないですか?

故に、空亡が巡ってきたから悪い年であるというのは、というか、空亡が巡ってくるということ自体が、今のところ私の中で辻褄が合わないことなのです。

もちろん、私は空亡の年悪かったよ?という場合もあると思います。でもそれは空亡だからではなく、たまたま自分に味方をしない干支が巡ってきていたからと言えます。

火を大事にしたい命式の人のところに、火を消す水が巡ってきた。たまたま、その人の空亡も水の五行だった、というように。

(イラスト:いらすとや)

ピヨの空亡の取り入れ方としては、命式内にある十二支が空亡していれば、それがご本人の性質ではどういう作用をし、巡ってくる運とはどういった反応を起こすものなのかを見るくらいです。

で、これは何も空亡に限ったことではなく、冲や支合など、その他の特殊な組み合わせでも考えることだったりするのです。

ちなみに、グループ分けするから空亡が出るという主張なら、命式の空亡も同じことなのでは?という考えもありますが、命式は第一回花いちもんめだと言えます。性質は、自分の柱である日柱を軸に考えるものです。空亡も日柱から出します。ということは、自分にとってその十二支は空亡して見えるよねと言えるので、取り入れています。でも、かなり補足的な位置付けです。(余談ですが、年柱から出す空亡や、十干の空亡もあったりしますが、説明を省略します。)

今回はちょっとマニアックでしたが、空亡は、すべての人にとって悪いものでも警戒すべきものでもないし、不安になる必要もないよということを伝えたかったです。

ご自分の命式の空亡が気になる方はプロを頼ってくださいね。ピヨと考えたい人は「会議室」の扉をノックしてください。

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